介護者を生きる

グループホーム職員による介護のはなし

誇り高い者

私のグループホームでは、食事はみんなで同じメニューをできるだけ一緒に食べるようにしています。

なので起床の際には職員が入居者の方を起こすということを行うことがよくあります。

 

私自身、朝起こされるのが嫌なものですので、個人的には

できるだけ入居者の方がご自分で目覚めるのを待っていることが多いのですが、

そうすると起きる時間がバラバラになって、遅い方に合わせると早めに起床した方が長く待つことになったり、

早い方に合わせると、遅く起きた方は皆がいるなかでひとり食事をとることになったりします。

何がいいかは考え続けないといけないことですが、

ひとつこんなことを考えました。

 

それは昔入居されていた方のことですが、

その方は最年長でもあり、とても育ちが良さそうというか立居振舞いにしつけが施されているというか、一言で言うと「とてもきちんとした方」でした。

 

その方は、毎朝5時ころになるとまだ暗いうちから起床にとりかかります。

そして誰よりも早く更衣・整容などの支度を済ませ、朝食準備を手伝ってくれたりしながら

他の方が起きるのをゆっくり待たれます。

そういう生き方をする方でした。

 

しかし、月日を重ねるにしたがい、だんだんとご自分の力ではそうした生活を保つことが出来なくなり、

声をかけなければ起床されなくなったり、また支度に介助が必要になった関係で職員が順番に手伝いに来るのを待たなければならなくなりました。

いつしか朝一番にその方が待っているという風景は失われていきました。

 

寝ている者を無理に起こさない、これだけで大きな間違いを犯しているとはあまり考えられません。

しかし望ましいケアと考えた際には、必ずしも正しいとも限りません。

 

介護者の役割は相手の尊厳を保つこと、つまり誇り高い者であり続けられるような支援を行うことだと考えます。

最年長の自覚があり、皆の手本として朝一番にきちんと支度を済ませて待つ。その方が誇りとしてきた生き方のはずです。

それを知っている介護者ならば、あるいはその生き方を続けられるような支援をしていくことがあるべき姿であるということも考えなくてはなりません。

 

ある種、寝ていてくれるのをいいことに、介護者の都合で順番を後回しにする。そうできてしまう。

例えばそれにより、他の方から「あの方は年長者なのにあんなに遅く起きてきてだらしがない」と思われていたら、

あるいはそれは介護者が思わせてしまっているのかもしれません。

介護者が、相手の誇り高い生き方に関心がなければ、その方を堕落させてしまっていることにもなりかねないのかもしれません。

 

これは難しい問題で、何が正しいかはみんなで考えていかなければなりません。

 

ただ、認知症であっても、人は、特に高齢者は誇り高い者であり、支援者次第では最後までその誇り高い生き方を失わずにいつづけられるということは、

これからも信じていきたいと思います。