介護者を生きる

グループホーム職員による介護のはなし

こころとからだ

よく、介護の仕事をしていますとひとに言うと

「重労働と聞くけど、腰とかだいじょうぶ?」とか「他人の下の世話ができるなんてすごい」という言葉が返ってきます。

そういうとき、私はふっと「ああそういえばそういう仕事でもあるんだった」と思い出します。

たしかに世間的に介護とはそうしたイメージなんだと思います。

ただ、実際に介護の仕事をしてみると、そうした身体介護はほんの一部分だけだということがわかります。

 

もちろん、三大介護と言われる食事介助、入浴介助、排泄介助はどんな介護現場にも存在しています。

しかし、それだけで相手の生活、もっと言えば人生が成り立っているわけではありません。

特に、私が働いているグループホームというところは入居施設であり、入居者さんの現在の生活、つまり人生のほとんど全部がそこに存在しています。

そう考えると、やはり入浴・食事・排泄だけが支援の対象ではないということがわかります。

 

私が大切だと考える介護士の役割は主に3つあります。

①相手の尊厳を保つ

②相手の力を引き出す

③相手のこころに寄り添う

ひとことで言えば、「共にある」ということです。

振り返れば、入居者さんたちとの思い出や、介護職としてのやりがいなどは、すべてこの役割の中につまっている気がします。

こうした役割の一部として、しっかり三大介護も存在しています。

ただ、入居者の方が身体のケアだけを求めているかというと、そうではないでしょう。

 

もし、身体介護だけで介護が成り立つとするならば、もっと機械化・システム化していくべきだと思います。

排泄介助時、相手がモノである方が恥ずかしくないと思いますし、

移乗などの安定感や事故リスクの面を考えてみても、機械が勝るでしょう。

いいことの方が多いように思います。

しかし、あるとき入居者の方が言っていました。

「機械に介護されるなんておそろしい。それなら死んだ方がマシや」

なぜかは聞きませんでしたが、私なりの解釈としては、

やはりこころとからだ、両方の支援があって初めて生活・人生の支援と言えるからなのではないかと思いました。

 

今までの歴史の中で、おそらくからだの支援が優先されてきたところがあるような気がします。

時代の流れの中で「思いやり」や「寄り添う気持ち」が求められるようになってきていると感じています。

いつか介護の仕事というイメージに、そうしたこころの支援という部分も含まれるようになればいいなと思います。

明日からもがんばります。